FUJIYAMAをみると,御利益感が得られる.
静岡や山梨の方々には,お馴染なのかもしれませんが,東北出身の身としてFUJIYAMAは高尚なお山なのです.
その敬意は,字にも表れているように「富士山」ではなく「FUJIYAMA」と,まるで日本文化に触れるために遥々海を渡ってきた外国人の気持ちとなんら変わらないのではないか.
東北に居たころ,日常にFUJIYAMAが入り込むことは考えられなかった.
それから千葉に住むようになり,夕方ローカル線の車窓から見えたFUJIYAMAは突如日常に現れたのだ.そのFUJIYAMAは,実に真っ赤に燃えていた.
衝撃.
神々しく,後光が射すように凛として整然とFUJIYAMAは聳えているではないですか.その光景は今でも目に焼き付いている.
それからもFUJIYAMAを見るたび,「ありがたや,ありがたや」と心で念仏を唱えるような面持ちで眺めている.
たかだか3000mちょっとで,真っ白いほっかむりをした富士山は僕にとって非日常的な日本の心象風景であり,かくして富士山は「FUJIYAMA」となったのです.
ケロ
0 件のコメント:
コメントを投稿