笑うのに必要なのは,17 種類の筋肉.
だけど,しかめ面するのには 47 の筋肉がいる.
エネルギーを大切に.
-unknown-

自分の写真
どこかの街, どこかの井戸で
日常にハミングを。Evernote、iPhone、エネルギー・環境関連、ランニングなどについて呟いてます。
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2012年1月7日土曜日

2012年の目標





■2012年上期の目標


2012年上期の目標を大きく分けて4つに分けて考えてみた


  1. 必ず達成すること
  2. やってみること
  3. 減らしていくこと
  4. 完全にやめること

まずは必ず達成することについて。


■必ず達成すること


  • 最低月50kmを目標に ランニング
  • 体重60kg台
  • 資格試験1次合格


■やってみること


  • 毎日四行日記をつける(事実、発見、教訓、宣言)
  • 会社で思いついたアイデアを提案して取り組んでいく
  • 3か月に一度マラソン大会に出場(フルは除く)
  • 毎日感謝すること
  • 起床時間を5時台に(早起きするが睡眠時間は6時間30分死守)

■減らしていくこと


  • Googleリーダー購読数
  • インターネットの長時間の閲覧(一日1時間以下とする)
  • 言い訳やネガティブ発言



■完全にやめること

  • 無計画な一日の活動
  • 暴飲暴食
  • 漫画、小説、新聞を一切読まない
  • テレビを見ない
  • ブログを書かない


以上を目標に取り組んでいきたいと思います。
あとは目標を実現していくためのアクションを日々の行動に落とし込んでいくだけです。これが難しいのですが無理なく、しかしサボらずコツコツとやっていきたいと思います。





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2011年6月18日土曜日

試行錯誤

試行錯誤とはコトバンク調べによると以下の通りとなっている。

いろいろ試みて失敗をかさねながら適応するようになること。

重要なのは試行することなんだと思う。何が言いたいかというと、“思考”することではなく“試行”するという事だ。

思考錯誤では、考えてばかりでそれこそ錯誤してばかりになるが試行錯誤となれば物事に何らかの刺激を加えてやる事で、レスポンスが返ってくるはず。
いくつかの強度あるいは異質な刺激を与えることで変数の取りうる値もおのずと傾向・パターンというものが見えてくる。従って、試行錯誤をすればいつか道が開けてくるというものだ。思考とはその前段階に位置するものであって、とにかくある刺激を一定時間ないし一定量を与えてみること。

そうすれば、錯誤のさきに傾向が見えてくるはず。

徒然な感じの中、ふと考えにふけってつらつら。

2011年4月3日日曜日

Tポイントを募金してみたよ




前回の『「ポイント」がポイントの募金サイトで 』でご紹介いたしましたポイント募金サイトのバナーですが,紹介しただけではなんなのでポイントで募金してみることにしました。


僕の持っているポイントカードが楽天とTSUTAYAのTカードの二種類しかなかったので,とりあえずTカードのポイント残を募金してみることにしました。






  バナーからTポイントおよびカードのサイト【T-サイト】にいきますと,メイン画面に上図のような【緊急募金】東北地方太平洋沖地震の特設が用意されています。そこをクリックすると・・・。

既に1億5千万円を超えるポイント(1ポイント当たり1円に換算)も募金されていることが分かります(スゴイ!?)。

 よーし,僕も全ポイント募金してやる!!と勇んでポイント残を見てみると・・・・。残念すぎるポイントしかorz



仕様が無いので,これだけでも募金してみることに。





96ポイントで募金。


申し訳ない程度の募金となってしまいましたが,他にも楽天のポイントがあるのでそちらも募金してみようと思います。

とにかく,「気持ちが大事」ですし,小さなポイントも塵も積もれば何とやらですから。










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2011年3月29日火曜日

「ポイント」がポイントの募金サイト



■眠っている10兆円規模のポイント

争奪!買い物ポイント~眠る10兆円を掘り起こせ
買い物に応じて企業が消費者に発行する「ポイント」の市場は、08年度の推定で8200億円。今年度には1兆円の超える見通しとなった。店舗、携帯電話や 航空の利用からネット通販まで生活の隅々に浸透したポイントだが、発行され私たちの手元に眠っている未利用分の額は10兆円とも言われている。他社と連携 するなど互換・連携も広がり、通貨としての役割が益々増しているポイントだが、発行企業にとって事実上の値引きとなるため、経営圧迫要因になる可能性もあ る。今や現金通貨の流通量の1.5%にまで膨らみ、「第2の通貨」となりつつあるポイントをめぐる戦略の裏側に迫る。

2009年8月25日第380回日経スペシャルガイアの夜明けより


こんな莫大な金額が眠っているのを知って驚きはしましたが,よくよく考えてみれば,僕自身のあまりにもポイントに無頓着なことを察すれば,1億数千人がいくつものポイントカードを所持している事を考えるとあり得ない話ではないと思いなおしました。

とにかく,これだけのポイントが未利用されているのが現状とあれば,日本の経済活動なり,社会貢献などに活用する方法を探さないと勿体ないですよね。なかには,未利用のまま失効してしまうポイントも少なくないですから。


■現金じゃなくても貢献できちゃうんです「ポイント」がポイントの募金支援サイト


 少し前からになりますが ポイント募金で東日本大震災復興支援!というブログ管理人@adminさん
の知恵あるブログパーツ「ポイント募金で支援できるサイトをとりまとめたブログパーツ」を目に留め,ブログに張り付けてみました。




タイトル通り,募金は現金ではく,ポイント。


「けっこうポイントって,溜まってるけど使ってないんだよね。」

「そういえば,あのポイントどうなってんのかな?」

といった具合に皆さんのカードの中に眠っているポイントが数多くあるのではないでしょうか?


ちなみに僕は,楽天カードとTポイントカードを持っています。
それらには,貯める気ないのに貯まっているポイントがいくらかあります。

と,このように自分が何ポイント持っているかも知らないのです^^;



僕は,この機会に眠っている(些少でしょうが)ポイントを使ってみようかと。




皆さんも財布に眠っているポイントがあれば,ぜひ。





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2010年11月28日日曜日

wikipediaに寄付してみたよ




  • WIKIPEDIAと言えば,誰もが知っているWEBサービス。
  • WIKIPEDIAと言えば,「ウィキる」の造語を生み出すほど有名な百科事典。
  • WIKIPEDIAと言えば,大半の大学生のレポート情報がココから・・・。
そんなだいぶお世話になってきた経緯もあり,WIKIPEDIAに寄付してみました。

といっても JPY1500ですが。


2010年11月15日月曜日

ブログの衣替え~ブログのデザインを変えました~

従来のブログのコンセプトは変えませんが,モッサリ感のあったレイアウトを一新してみました。

前のものよりもスタイリッシュなデザインになったような気がします。

これを機に,レイアウト同様にブログ内容もスタイリッシュにまとめるように心がけたい僕なのでした(-_-;





ケロケ~ロ Clip to Evernote

2010年6月20日日曜日

Please follow me!

Twitterリンク の赤いボタンを右サイドに設置したので,Followしてあげてください.どうぞよろしくお願いします.

ケロ

2010年5月29日土曜日

お金だけじゃ満足できない僕たち~ハーズバーグの二要因理論

ハーズバーグの二要因理論(動機付け・衛生理論)―Herzberg’s theory of motivation―@INVENIO LEADERSHIP INSIGHT(参考)


ハーズバーグの二要因理論(動機付け・衛生理論)」とは、アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが提唱した仕事の満足および不満足に影響する要因に関する理論だ.


ともすると,僕たちは仕事の報酬を賃金に求めているときがある.しかし,それは否.では,お金ではなく何に仕事の対価を求めているのか.畢竟,偽善的ともみえる「やりがい」や「責任」といったものが僕たちが仕事に対しての満足感を得られる要因として考えられている.しかも,このような考えは別に珍しいものではなく,マズローの欲求段階説などからもお金など(生理的・安全の欲求)は決して高次の欲求ではないと説かれている.それよりも「承認」や「自己実現」の欲求がもっとも高次とされており,言い換えれば,仕事では「責任感」や「やりがい」といったものに大きく価値を置いているといえるだろう.

それを踏まえて,今回のハーズバーグの二要因理論であるが,その背景は

仕事に対する満足度は、ある特定の要因が満たされると満足度が上がり、不足すると満足度が下がるということではなく て、「満足」に関わる要因(動機付け要因)と「不満足」に関わる要因(衛生要因)は別のものであるとする考え方.


上記に出てくる動機付け要因と衛生要因については以下の通り


動機付け要因
仕事の満足に関わるのは、「達成感」「仕事そのもの」「責任」「昇進」「やりがい」など.これらが満たされると満足感を覚える.しかし,欠けていて も仕事に対しての不満足を引き起こすわけではないところがポイント.


衛生要因
仕事の不満足に関わるのは「会社のコンセプトやシステム,マネジメント」「監督」「賃金」「人間関係」「仕事の条件」など.これらが不足すると仕事に対する不満足を引き起こすようだ.満たした からといっても満足感につながるわけではない。単に不満足を予防する意味しか持たないといわれている.



要するに,この二つの要因を分析すると,単に衛生要因を極大化したとしても,仕事に対する満足感は得られづらいので,カイゼンステップとしては,1.衛生要因の極大→2.動機付け要因の極大という流れで職場に働きかけるのが良いだろう.

まぁ,雇用者からはあまり実践できるものは少ないけれど.

ケロ

2010年5月23日日曜日

決意表明 統計解析を習得するぞい

大学院では,小手先の統計解析をやっていたのだが,これを仕事で活かさない手はない!と,この頃感じている.

というのも[営業]というジャンルに属する自分にとって,効率的に営業活動をこなしていくのは必要不可欠であるからだ.それにはデータマイニングなどによって,顧客の抽出や戦略的な営業をしかけていくのに,統計解析は強力な武器になると考えている.実際,マーケティングと呼ばれる中には簡単ではあるが分析を行って,効率かつ実効性のあるビジネス展開を図っていることがある.

そんな事から,僕はこれからベイズ統計をメインに勉強していこうと思う.大変難しいとは思うのだが,これが身につけば,仕事上で必ず活きてくると確信している.




ケロ

2010年5月1日土曜日

GWの過ごし方

ご多聞にもれず,世はGolden weekに既に突入していますが,そんな僕もGWを授かっちゃいました.

はて,どうしたものか.

最近,枕詞のように,事あるごとに話の冒頭で「はて,どうしたものか.」などと嘯いてみせているが,何も大袈裟なことを言っているわけではない.GWの過ごし方について,はて,どうしたものかと真剣に悩んでいる次第です.いかんせん5日間という休暇は人間を堕落させるのに十分な時間である(私論).

いま,休暇と書いて,気付いたが「暇を取ること」が休暇ではないか.暇を取るなど,望んでなどいないのに暇を強要させられるとは何とも不条理.なぜなら,苦しくも暇なら働き者のアリンコにあげるほど,もてあましているのだ.


そんな事態から,目標と言うには大袈裟なのだが,No longer human...とならないように,GWを堕落せずに過ごすための宣言をここに書き記すことにした.


1) 本を4冊読了する.
  高橋昌一郎著「理性の限界」&「ゲーデルの哲学」,中沢新一著「純粋な自然の贈与」,村上春樹著「ノルウェイの森(上)」

2) 両親に食事などを馳走する
   東京にでてくる両親に食事や観光などの世話.

3) 朝ジョギングをする.筋トレする.
   5kmもしくは30分程度のジョギングを毎朝する.

4) 料理を毎日一度は作る.


5) 晴れた日などはモールや公園などへ出かけ,外出を増やす.



これらを自分に課して(というほど,どれも取るに足らないものではあるにせよ),日々規律ある生活を送りたいと思います.


輝くGolden Wというよりも,曇らないGolden Wを.



ケロ

2010年4月17日土曜日

夜の過ごし方

最近,「夜の過ごし方」をどうしたものかと思い悩んでいる.

研究室にいたころは,終電で帰ることも珍しくなく,昼過ぎから深夜までだらだらしていた.

しかーし,かつてより活動時間が前倒しされ,朝が早い.そして,その分,夜の時間がぽっかり空いてしまった.

はて,どうしたものか.

ジムに通うとか,あるいは映画を観るとか.他には,本を読むというのも良いんだけれど.


とにかく,夜の過ごし方に馴れていない.




ケロ

2010年4月5日月曜日

scrap&build

これまで干支を2週するくらい生きてきたけれど・・・,その中で何度か危機的な状況に見舞われることが少なからずあった.

危機的な状態にいた僕は,今思い返せば,それは自分を再構成するための分水嶺に立たされていたともいえるかもしれない.

高校から大学へ進学するとき,なにもかもが新しく見えた世界.
大学3年で悩んだ進路.
大切な人との出会いや別れ.

これらのものが,ある意味で自分をぶち壊す存在として否応なく立ちはだかってきた.
自分としては,慎ましく,慎重に積み上げてきた積木を他者(それは人.それは社会.それは主体以外のあらゆるものを指す)がいとも簡単に崩しさる.

また,僕は慎重に積み上げる.

すると,また崩される.また,・・・.


この繰り返しをしていきながら,それなりに見栄えの良い,ちょっとしたインパクトも物ともしない積木の塔が出来上がってきた.

しかし,またしても他者によって崩される.これには際限が無い.
いつしか積み上げることに何の意味があるのか,自問し始める.「自分=主体」というものを構成する「積み木」が一体なんだというのか.消耗しきった精神で何度も問うた.

そして,僕は気付く.
積み上げている過程そのものにこそ,生きること,そんな大げさなことを言わないとしても,「前よりもうまく積み上げていく」ことが「楽しさ」や「やりがい」ではないかと,次第にわかってくる.

ある時から,積み木を壊されることをいつしか僕は歓待していた.他者に崩されても焦燥感や困惑感がなくなった.
よりうまく積み上げるときの嬉々としている自分に,今では確信的に気付いている.



ケロ

2010年2月8日月曜日

中央卸市場 ねこ 01:09 偶然性と意味

夜.
ランニングするコースの中に,横浜市中央卸市場がある.


路肩には,トラックが何台も縦列しており,熱が冷めていく街とは打って変わって,これから動き出すといった感じ.

キリっと冷えた寒い夜に魚のにおいが微かに鼻腔に届く.

前方の歩行者信号は青.

右手の植え込みから猫が一匹,歩行者信号をちぼちぼ歩いている.

後方から走ってくる僕とすれ違いざまに目があった.猫はシャムのような毛並みで,灰色の毛が好き放題に伸びている.
ははぁ.魚目当てなのか.彼/彼女らにとっては,今一番が活動時なのかもしれない.



こんなことを思ってみる.

猫にとって,卸市場やトラックは意味のあるものに映るに違いないだろう.
それはどれも“魚”に関連しているからね.

だけど,信号機はどうだろうか.青信号だろうが赤信号だろうが,彼/彼女らにとって,それらは何の意味もなしていないのではないだろうか.ただ直立した棒が,規則的に色を変えるといったオブジェにしか見えないだろう.控え目に言っても,それらが彼/彼女らを楽しませるものだとは思わない.

家はどうだろうか.
猫にとって,人間が住む家はどのように映るのだろうか.
このときであった猫はもしかしたら人間に家で飼われており,時たま,そう卸市場が起き始めた時に,外に出て腹を満たしたら,また家に戻る.そんな生活を送っているとしたら,家には少なくとも意味はあるかもしれない.それは人間のもつ家に対する考えとそれほど違わないのかな.

自転車や車は猫にとってどうだろうか.
猫にとって,はじめそれらのものは意味のないものであるかもしれない.しかし,突如として意味のあるもの,あるいは無理にこじ開けられた関係というものによって衝突する.それは字義通り衝突してしまい.猫にとって“恐怖”の対象として意味のあるものに変わるかもしれない.

これまで意味のなかったものが,次の瞬間には意味のあるものに変わることもある.


それからみなとみらいを走っていると,なんだかとても不思議な感覚にとらわれていく.

すっかり眠ってしまった街のビルが異様に見えてくるからだ.いろんなビルがある.気持ちの良いくらいの縦じまビル,茹で卵を切ったようなくし型のビル,何のための車輪なのかと思わせる観覧車.

それらのものが夜になると異様なものに見えてくる.何のために存在しているのか,その存在が疑わしくなってくる.


猫とトラック,猫と家,猫と卸市場のように,それらが僕にとって何の影響を与え,あるいは受けているのか.僕とそれらの間に何ら関係性を見出せない.

意味のあるものと意味の無いもの.それでも世の中には,どちらかが付帯したオブジェが存在する.
そして,「猫と車」のように,こちらの意図とは関係なく,地球に重力があるように抗えない力学として,突如として関係が生まれ,意味があらわれてくることがしばしば人生にはあるのではなかろうか.そして,それは今夜に関して言えば,たまたま出会った卸市場の猫が僕に与えた思いがけない意味のようでもある.よかれ悪かれ,僕の人生のほとんどがそうであるような気がしてきた.



ケロ

2010年2月3日水曜日

My inside is outside.

オブジェをみて,主体がどう感じるか.
心地よいのか,気分が悪くなるのか.
好きなのか,嫌いなのか.
正しいのか,間違っているのか・・・.

僕という主体が,オブジェに対して反応する感情や考え,連想などは,よくよく考えてみれば実に奇妙だ.

はっきり言って,何ゆえにそう感じるのか,あるいは考えるのか,行動するのかについて皆目見当がつかない.いや,“それらしいこと”はいえる.

例えば,ある絵が「好きだ」と感じる.そして,自分にこう自問してみる.

絵のどこが好き?・・・.

んん,柔らかな色づかいが好き.

そこでまたこう問う.

柔らかな色がなぜ好き?・・・.

んん,とても落ち着く感じがするし,なんだか優しい気持ちになれる気がする.

どうして「柔らかな色」→優しい気持ちとか落ち着くのだろう?・・・.

んん,・・・.

行き詰る.なぜって言われても困る.そう感じるのだから仕様がない.畢竟,そういう感情は僕がこれまで経験してきた環境や遺伝などから出来上がってくるものだし,単純にその日の体調や気分,あるいはもしかしたら,早朝の食事でご飯にふりかけをふったか,ふらないかでさえ,ころころ変わってくるんじゃないだろうか.

そう考えたとき,“何か”をみたり,聞いたり,触れたり,口にしたり,した際にとる自分の感情なり,行動なりを観察したら,僕の意識のない領域(無意識)について少しでも知ることが出来るんだろうな.

僕がどんな本を志向して,どんな友人と付き合って,どんな料理を好んで,どんな言葉を多く多用して,誰が嫌いで,誰が好きで,音楽ならこれで・・・と際限なくその観察するオブジェは多彩である.

だけど,いくら追っかけても捕まらないんだろうな.
だって,いろんなものが過ぎてゆくからね.

ケロ

2010年1月27日水曜日

ラブレターを書くのなら

長時間,パソコンと向き合っていると,まるで一体化したような感覚に襲われる.

意識に立ち上るあれやこれやが瞬時に手先の指の動きによってタイピングされ,それがディスプレイに表現される.筆やペンと違って,意識に上ってきた断片的な思いや考えをアウトプットするまでにタイムラグが非常に少ない.似たようなものとして,デジカメもそうじゃないかと思う.バシバシと考えるまでも無く,気兼ねなく撮れるし.

ペンでラブレター書くのと,ワープロでラブレター書くのでは,恐らく後者の方がとっても臭い内容になりそうなのは気のせいであろうか.

ケロ

2010年1月26日火曜日

0:07 観覧車 消灯 アフォーダンス


最近怠っていたランニングを再開した.
週二回ほどをコンスタントに走っていると,徐々に身体が走ることに馴染んでいくのがわかる.

馴染むというのは,走りながら,より走りやすいフォームへと手探りのなか変化していくことだ.
ぎこちなく覚束ない走りのなかで,身体は学習していく.例えば,足を地面に踏みしめるときに受ける地面からの反作用を脳で感じ取り,直ちに身体の足へとフィードバックさせ,次の一歩をより負荷の少ないナチュラルな足運びに変換する.足運びだけではなく,腕の振りや,呼吸,胴体の姿勢などもそうだ.

その都度その都度,身体の動作[A]から脳を介して(つまり意識やそれ以外のもの,思考など・・・),新たな身体の動作[A']へと変換していく.ひざやふくらはぎに負荷がかかってくると,他の動かす筋肉や関節へとシフトさせながら,身体全体のバランスをとっていく.

環境によっても異なる.斜面を下るときや上るとき,階段を走るとき,角を右に曲がるとき左に曲がるときなど,身体の動作[A]を[A']へと変換していく.ランニングは,その絶え間ない繰り返しだ.
徐々に感情のテンションと身体をコントロールしていくことで,身体と呼吸と意識が呼応していくのがわかる.

スポーツと呼ばれるものは,日常に無い身体の可動域を広げる意味もあるんだと思う.使わない関節や筋肉などへ刺激し,そのポテンシャルを呼び覚ます.それは,つまり身体の拡張だ.身体の拡張は,それだけ自由度を高めてくれる."これまで"にないものを"いま"見ることや感じることができる.

そうして,自分の身体と会話をしながら,外界と触れ合うのだ.その逆も然り.

行為から行為へと移っていく中に,人間の思考は紛れているんだ.必ず思考から行為へと段階を踏むわけではない.行為から感じ取った感覚を頼りに,思考を始めることも往々にしてあるだろう.

なんだか,この事がとても大切なことのように僕は思える.






ケロ

2009年12月2日水曜日

布団乾燥機が好きだった


暖かい.

昨晩,冷え冷えとした部屋で四肢の先が凍るような,そんな寒さに襲われていたのに比べ
今日はなんと陽気な朝だろう.

こんなときには週末のお天気に干した布団のにおい,「おひさまのにおい」がする.

このにおいのもとは・・・・・・,と言ってしまえば,なんとも詰まらぬ事に為って終いそうだから止めておこう.


そんな世間では「おひさまのにおい」と称されるものを嗅ぐと,布団乾燥機を思い出す.

僕は布団乾燥機が好きだった.
冬になると,よく母親が布団乾燥機を物置から出してきてやってくれたものだ.


昼間にやっておけば,夜にはなんとも心地よい布の肌触りと「おひさまのにおい」が出来上がり,極上の眠りを与えてくれる.

得も言われぬ至福のとき.

そんなことが今ではできない.

ならば,束の間の太陽の光をたっぷりと浴びてやろう.


ケロ

2009年11月28日土曜日

もうすぐ師走


携帯で撮った一枚(画質,粗い・・・)中央あたりに,猫が二匹います.

12月に入ろうかという時期に,ポカポカ陽気の昼.
ニュースでは寒暖の差が激しすぎて,つつじが返り咲きしてしまったことを伝えていた.
それくらいだから,やっぱりここ2,3日の天気はおかしいのか.

ちょいと下町風情を味わおうと,これまで通ったことのない裏路を散歩する.
燃えるような赤の紅葉がみえた.いま見ごろを迎えているようだ.
そのまわりには人でにぎわっていた.とてもいい風景.

街では早めのクリスマスムードで,イルミネーションがきらきらしてますが
このような自然のもつ鮮烈な色彩にも,負けじと私たちの足を止める力があるのだな.

公園を後にして,そのまま猥雑な裏路地へと進む.

そんな折に,あの写真に写る猫たちを発見.
夫婦なのか,親子なのか.
もしかしたら,たまたま居合わせた銭湯の馴染のようなシチュエーションだったのだろうか.

向かい側が八百屋だったこともあり,控え目にレンズを猫たちに向ける.
しかも,逃げたらかなわないと思い,遠目からのシャッターとなってしまった.


まどろむ猫たち.
猫たちは,ここぞとばかりに太陽の熱を吸収し,蓄え,冬に備える.

もうすぐ師走か.


ケロ

2009年11月15日日曜日

FUJIYAMA


FUJIYAMAをみると,御利益感が得られる.

静岡や山梨の方々には,お馴染なのかもしれませんが,東北出身の身としてFUJIYAMAは高尚なお山なのです.
その敬意は,字にも表れているように「富士山」ではなく「FUJIYAMA」と,まるで日本文化に触れるために遥々海を渡ってきた外国人の気持ちとなんら変わらないのではないか.

東北に居たころ,日常にFUJIYAMAが入り込むことは考えられなかった.
それから千葉に住むようになり,夕方ローカル線の車窓から見えたFUJIYAMAは突如日常に現れたのだ.そのFUJIYAMAは,実に真っ赤に燃えていた.

衝撃.

神々しく,後光が射すように凛として整然とFUJIYAMAは聳えているではないですか.その光景は今でも目に焼き付いている.

それからもFUJIYAMAを見るたび,「ありがたや,ありがたや」と心で念仏を唱えるような面持ちで眺めている.

たかだか3000mちょっとで,真っ白いほっかむりをした富士山は僕にとって非日常的な日本の心象風景であり,かくして富士山は「FUJIYAMA」となったのです.



ケロ

風の尾っぽ


強風吹き荒れる一日.

そんな夕刻.

家路の坂を見上げると,金色の雲が.
まるで雲は,遠くへ去った強風の尾っぽのように伸びており,また黄金色の光のようでもあった.

そして,そんな金色の夥しい雲は坂の頂上へと収斂していき,一個の生命へと昇華するようだ.

なぜだろうか.
ふと「終末」とはこんな光景なんじゃないかと思った.

そんなことを思いながら帰宅の途につく人たちをみて,なんだかばつが悪くなってしまった私.

なので,次には今晩の夕飯に何を喰うかについて考えてみることにした.


ケロ