最近の映画を観て思うことは,「面白かったぁ」,「いい映画だったぁ」という表現が,時として適していないことがありえることだ.
それがどんなものかといえば,ニュースで「昨夜未明,某所で殺人事件が起こりました」あるいは「某交通道路にて,死傷者数名がでる交通事故が起こりました」といった場合に,私たちは決して「面白い」,「いいねぇ」などとはいわないだろう.要するに,最近の映画の傾向としては「事実を伝える」というニュースのテイストを帯びているものが多い.そして,こういった隠れた事実を伝えるこれに対して,「おもしろい」,「たのしい」といった表現をするにはなんだか違和感がある.
Amazonでのストーリー紹介は,以下の通りになっている.
1987年のルーマニア。大学生オティリアは、同室のガビツァの違法な中絶手術を手伝うべく、二人で準備をしていた。 恋人から金を借り、ガビツァの代わりに、手術を頼んだモグリの医者を迎えにいくことに。やがて手術の代金がどうしても足りないことがわかったとき、オティ リアは親友のためにある決断を下す@Amazon
あることを思い出す.エルサレム賞を受賞した村上春樹さんのスピーチだ.
「壁と卵」
壁≒弾道ミサイル≒言葉≒システム
卵≒個々人
壁(システム)は,容易に卵(私たち)をつぶすだろう.この作品の時代背景にもチャウシェスク独裁政治のもと疲弊しきったルーマニアがあったことは見逃せない.ワンシーンワンシーンからにじみ出る偏見と社会主義的思想.
堕胎を手伝う彼女が,がんじがらめのシステムから導き出す最善の手とは何なのか?果たして私たちは彼女を責めることができるだろうか.そして,私たちの日常にも地殻変動のようなシステムの妨害によって苦しんでいる人たちがいるのではないか.
そんな様々な思いを呼び起こす本作がパルムドールを受賞したことはうなづける.
ケロ
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