オブジェをみて,主体がどう感じるか.
心地よいのか,気分が悪くなるのか.
好きなのか,嫌いなのか.
正しいのか,間違っているのか・・・.
僕という主体が,オブジェに対して反応する感情や考え,連想などは,よくよく考えてみれば実に奇妙だ.
はっきり言って,何ゆえにそう感じるのか,あるいは考えるのか,行動するのかについて皆目見当がつかない.いや,“それらしいこと”はいえる.
例えば,ある絵が「好きだ」と感じる.そして,自分にこう自問してみる.
絵のどこが好き?・・・.
んん,柔らかな色づかいが好き.
そこでまたこう問う.
柔らかな色がなぜ好き?・・・.
んん,とても落ち着く感じがするし,なんだか優しい気持ちになれる気がする.
どうして「柔らかな色」→優しい気持ちとか落ち着くのだろう?・・・.
んん,・・・.
行き詰る.なぜって言われても困る.そう感じるのだから仕様がない.畢竟,そういう感情は僕がこれまで経験してきた環境や遺伝などから出来上がってくるものだし,単純にその日の体調や気分,あるいはもしかしたら,早朝の食事でご飯にふりかけをふったか,ふらないかでさえ,ころころ変わってくるんじゃないだろうか.
そう考えたとき,“何か”をみたり,聞いたり,触れたり,口にしたり,した際にとる自分の感情なり,行動なりを観察したら,僕の意識のない領域(無意識)について少しでも知ることが出来るんだろうな.
僕がどんな本を志向して,どんな友人と付き合って,どんな料理を好んで,どんな言葉を多く多用して,誰が嫌いで,誰が好きで,音楽ならこれで・・・と際限なくその観察するオブジェは多彩である.
だけど,いくら追っかけても捕まらないんだろうな.
だって,いろんなものが過ぎてゆくからね.
ケロ
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