これまで干支を2週するくらい生きてきたけれど・・・,その中で何度か危機的な状況に見舞われることが少なからずあった.
危機的な状態にいた僕は,今思い返せば,それは自分を再構成するための分水嶺に立たされていたともいえるかもしれない.
高校から大学へ進学するとき,なにもかもが新しく見えた世界.
大学3年で悩んだ進路.
大切な人との出会いや別れ.
これらのものが,ある意味で自分をぶち壊す存在として否応なく立ちはだかってきた.
自分としては,慎ましく,慎重に積み上げてきた積木を他者(それは人.それは社会.それは主体以外のあらゆるものを指す)がいとも簡単に崩しさる.
また,僕は慎重に積み上げる.
すると,また崩される.また,・・・.
この繰り返しをしていきながら,それなりに見栄えの良い,ちょっとしたインパクトも物ともしない積木の塔が出来上がってきた.
しかし,またしても他者によって崩される.これには際限が無い.
いつしか積み上げることに何の意味があるのか,自問し始める.「自分=主体」というものを構成する「積み木」が一体なんだというのか.消耗しきった精神で何度も問うた.
そして,僕は気付く.
積み上げている過程そのものにこそ,生きること,そんな大げさなことを言わないとしても,「前よりもうまく積み上げていく」ことが「楽しさ」や「やりがい」ではないかと,次第にわかってくる.
ある時から,積み木を壊されることをいつしか僕は歓待していた.他者に崩されても焦燥感や困惑感がなくなった.
よりうまく積み上げるときの嬉々としている自分に,今では確信的に気付いている.
ケロ
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