笑うのに必要なのは,17 種類の筋肉.
だけど,しかめ面するのには 47 の筋肉がいる.
エネルギーを大切に.
-unknown-

自分の写真
どこかの街, どこかの井戸で
日常にハミングを。Evernote、iPhone、エネルギー・環境関連、ランニングなどについて呟いてます。

2010年1月26日火曜日

0:07 観覧車 消灯 アフォーダンス


最近怠っていたランニングを再開した.
週二回ほどをコンスタントに走っていると,徐々に身体が走ることに馴染んでいくのがわかる.

馴染むというのは,走りながら,より走りやすいフォームへと手探りのなか変化していくことだ.
ぎこちなく覚束ない走りのなかで,身体は学習していく.例えば,足を地面に踏みしめるときに受ける地面からの反作用を脳で感じ取り,直ちに身体の足へとフィードバックさせ,次の一歩をより負荷の少ないナチュラルな足運びに変換する.足運びだけではなく,腕の振りや,呼吸,胴体の姿勢などもそうだ.

その都度その都度,身体の動作[A]から脳を介して(つまり意識やそれ以外のもの,思考など・・・),新たな身体の動作[A']へと変換していく.ひざやふくらはぎに負荷がかかってくると,他の動かす筋肉や関節へとシフトさせながら,身体全体のバランスをとっていく.

環境によっても異なる.斜面を下るときや上るとき,階段を走るとき,角を右に曲がるとき左に曲がるときなど,身体の動作[A]を[A']へと変換していく.ランニングは,その絶え間ない繰り返しだ.
徐々に感情のテンションと身体をコントロールしていくことで,身体と呼吸と意識が呼応していくのがわかる.

スポーツと呼ばれるものは,日常に無い身体の可動域を広げる意味もあるんだと思う.使わない関節や筋肉などへ刺激し,そのポテンシャルを呼び覚ます.それは,つまり身体の拡張だ.身体の拡張は,それだけ自由度を高めてくれる."これまで"にないものを"いま"見ることや感じることができる.

そうして,自分の身体と会話をしながら,外界と触れ合うのだ.その逆も然り.

行為から行為へと移っていく中に,人間の思考は紛れているんだ.必ず思考から行為へと段階を踏むわけではない.行為から感じ取った感覚を頼りに,思考を始めることも往々にしてあるだろう.

なんだか,この事がとても大切なことのように僕は思える.






ケロ

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