「つまらない」というのと,「わからない」というのは当然違うわけだが,本作は後者の部類に入った.
今現時点において,この作品を公平に評価することが僕にはできない.僕にはわからないのだ.
しかし,わからないなりにかなり本質的なテーマを扱っているのだろうというのは感じ取れる.だから,「つまらな」くはなかったのであり,「わからない」と評価した.
これまでにそういう映画が無かったわけではない.かなり感覚的な映画は数多くある.ここでいう感覚的無映画とは,言語化されていないノンバーバルな表現を主体とした映画ものを指す.
そのなかで,すんなり噛み砕かずとも咽喉を通るものもあれば,今回の「太陽のひとりぼっち」のように,消化不良になってしまう,つまりうまく解せないものもある.
以下,内容を紹介する.
都会に生きる人々の刹那的な恋愛を、M・アントニオーニ監督がシャープに描いた秀作。ひょんな事から出会ったヴィットリアとピエロは惹かれあい、肉体関係を結んだ。しかし、その関係にすべてを賭けるような情熱もなく、2人は無感動な別れを選択する。 @キネマ旬報社
モノクロの風景が画面に映る.そこには,木々や忙しなく往来する車,ベッドタウンのような街並みがある.しかし,それだけではないのは自明だ.
たとえばシニフィアン(能記)として表象された「木(ki)」には,シニフィエ(所記),つまり概念・イメージが付与される(図1).
しかし,実際にはシニフィアンに対してシニフィエはかなり流動的であり,人間は表象されたシニフィエから様々な事物を連想する.
すなわち,M・アントニオーニ監督が表現する風景は,必ずしも“風景”ではなく,風景の裏側にある未曽有のイメージだ.そのイメージを物語二停留するテーマによって,フィックスしていく.
話は逸れたが,本作を理解するには生半可な鑑賞はゆるされないということだ.
ケロ
0 件のコメント:
コメントを投稿