幸福度 = 持っているもの ÷ 望んでいるもの
こういった抽象的な言葉(幸福)を数量化,あるいは定式化することには些か疑念を抱かないわけではないが,上の幸福度の式は経験則からいって存外当たらずとも遠からずではないか.
この式をまじまじと見て気付いたことは,私たち人類の大半は不幸のうちにその一生を,あるいは平凡を生きてきたに違いないことが分かる.
「人類の進歩」
こう言われた場合,それはほとんどの場合に科学的・倫理的範疇での話になる.その人類の進歩は現状に満足できない欠落感を,補うための不断の努力によって成し得てきたはずだ.
つまり,いま(持っているもの)よりも常に未来(望むもの)を多として,進歩してきたともいえるわけだ.
こうして歴史は今を頂点とする形に整えられ,そして,未来を今以上の高次元でより幸福なものであるという幻想に至る(のだと思う).
と, ここまで然も生きるための存在意義を幸福に求めるようなことを嘯いてきたが,そうでははい.むしろ,幸福とはそんな程度のものとして,燃えるゴミとして袋 に詰めて捨てるまでではないが部屋の隅っこにでも置いておけばよい.そんなことだ.そして,最善の幸福になるための方法は,宗教にでも入ればよい(決し て,そんなことは厭だけど).今以上に求めなければ良い.それしかないじゃん.だけど,そんなことできないのが人間であり,かく言うぼくもまだ人生に絶望 してはいないから厄介だ.
ケロ