「4時間台でラクに走りきる 頭のいいマラソン超入門」(内山雅博)
▼辛い・苦しいへの処方箋
「マラソンは知性が5割!!」・・・と言い切る著者.
その言葉は,実際にフルマラソンを走った僕にとって,痛感した言葉だった.
そればかりか,「マラソンは根性」とばかり思っていた僕にとって,処方箋となる本といえよう.
「ランニング」に対して,酷く偏った「考え方」があった.と言っても多くの方からのコンセンサスでもあるかと思うのですが,「ランニング」は「頑張る」もの,「努力」するものと考えていた.
思い起こせば,中学校・高校と球技スポーツをやっていたが「走る」事に対する考えは,先程の連想から浮かぶであろう「辛い」や「苦しい」というネガティブな印象しかなかった.まるで喜びを見いだせなかったのだ.
それを引きずったまま大人になり,何の気なしに再度「走る」ことになった.それがマラソン初出場.
マラソンを走った結果,控え目に言っても「めちゃくちゃ楽しい!」というまでには至らなかったが,それでも,どうにかすれば「走る」がポジティブに受け止められるんじゃないかという気がした.それを予感するものがマラソンから得られたのである.
▼大切なのは「考え方」・「走り方」
楽しく充実して走るための基本は,「巧く」走ることです.「走る」=「頑張る」=「苦しいのが当たり前」という思い込みは,自分の力に合ったペースで走ることの楽しさを知らないだけなのです.p.21
そのためのには,自分の実力をきちんと把握することがまず大事だと思う.人間,自分を過大評価したり,過小評価したりと,大きくも小さくもない等身大の実力を知ることは大変難しいものだ.
ともすると,ギャンブルや仕事など,実力以上の結果が出てしまう事がたまにある.しかし,その調子で進むと後に後悔がやってくるのは言うまでもない事なのだ.マラソンでは“まぐれ”がない.これは本当に実感したことだ.要するに,マラソンは実力以上の結果が出るスポーツではないのだ.走った分が,きっちり成果としてでる(故に,対価に見合うスポーツとして好まれているのかもしれない).
とにかく,自分にピッタリ合ったペースを崩さないことを心掛ければ,走ることがより充実したものになる.
▼4時間台で走る意味とは
3時間台でも,5時間台でもない,4時間台・・・,どうしてこの時間台で走ることが望ましいのでしょうか?
市民ランナーが3時間台で走るには,通常の一段階,二段階上のトレーニングが要するとのこと.日常生活の時間の使い方やトレーニングの取り組み方など,そのどれもに厳しさが混じってくる.
一方で,5時間台に関しては,一定のペースで走ることが困難で,どこかで「歩き」が入ってしまうことから「走り」きることが出来ないのだ.
ただ楽しいだけでなく,そこに小さじ一杯のちょっぴり苦しい汗と涙というスパイスが加わることで,それを乗り越えた先にあるゴールが,見違えるほど輝きを増して見えてくるものです.p.39
▼まとめ
「辛い」・「苦しい」と思いこんできたランニング.それは結局,実力以上の力を出そうとしていた自分の考え方,ひいては走り方に問題があった.マラソン4時間台は,楽しくもあり,ちょっと苦しみもある「充実した」42.195kmを味わうのに最適である.大さじ一杯では多すぎるが,小さじ一杯程度のスパイスが,マラソンを走る喜びに変えてくれるようだ.
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ケロケ~ロ
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