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2011年10月8日土曜日

僕たちは世界を変える事ができない。但し,自分を変えることはできる。~世界を変える人の原動力とは~

■僕たちは世界を変えることができない。



僕たちは世界を変えることが出来ない―予告―


先日「僕たちは世界を変えることができない」(以下,ボクセカ)を映画館で観賞。結果から言いますととても考えさせられる映画で感動しました。

簡単な物語の導入について話しますと,実際のモデル兼原作著者でもある葉田甲太さん(現在医者として都内で勤務されているようです)が大学生のころ,詰まらないと思っていた日常に刺激を求め,軽い気持ちで海外支援を行う計画を立てました。色々と資金調達から仲間を増やしながら,奮闘していくのですが周囲から偽善者だというレッテルに苦しめられていきます。次第に集まった仲間内でも方向性の不一致による言い争いが多くなっていき,ますますカンボジアへの学校建設への道のりが遠のいて行くのですが,そんな中でも甲太はやりぬこうと決心して,がむしゃらに資金集めに翻弄し,ようやく目標のお金に到達することができました。そして最後に・・・・・・という感じです。


海外支援という慈善活動を大学生という青臭くもあり世間の厳しさを知っている年齢の若者を通して,実情を生々しく問う意味でとてもリアリティに富み,大変参考になりました。また,カンボジアの現状を知る上でも勉強になった作品です。


ところで主人公・甲太の学校建設をしようという初めの動機はあまりにも普通というか,単純というか,至って大きなインプレッションではなかったように思えました。但し,一方で最終的には学校を建ててしまったというその行動力と情熱はどこからやってきたのでしょうか?


■彼を動かすモノとは・・・・・・。






僕は映画ボクセカを観る前に同じように学校建設に人生を注力している人物の本を読んでいました。
それは「スリー・カップス・オブ・ティー」という本です。

この本の内容について少しばかし触れますと著者・グレッグ・モーテンソンという人物はもともと登山家でして,世界で二番目に高い難易度S級の山K2に挑んだ際,運悪く遭難してしまったところを山の麓の小さな村の住人に助けられるところから物語は始まります。そして,その村人たちからは名も知らぬ他所者と言えるグレッグを丁重にもてなし,癒し,彼を客人として迎え入れてくれました。それに感動した彼はこの村の問題に応えようと学校を建設する約束をします。金もないツテもない彼は祖国米国に戻り,資金調達を始めるのですがそこにはいくつもの大きな壁が・・・・・・。

 とまぁ,学校建設をする意味では同じような構造の本になります。そんな彼グレッグを学校の建設に意欲を燃やす動機として働いたのがまず世界の裏側の大きな問題に気付いたこと,そして,村への恩義,この二つだと思います。これだけを見ると ボクセカの甲太さんとグレッグでは初めの動機が違うように思えました。

しかし,ここで甲太さんもとグレッグと同じように気付きと恩義を体験していたことを思い出しました。それは知り合いの女の子に甲太がふいに言われたこと「カンボジアってどんなところ?」でした。学校を建てるのにカンボジアについて何も知らなかった事に気付いた甲太はカンボジアについて気になってきたのです。そう思い立った彼らは実際に学校を建てるカンボジアへ飛び,現地の現状を生で知ることになるのです。そして,そこで出会った学校へ行けない少年やエイズにかかった女性,カンボジアの内戦等の歴史に出会い,そこにある大きな問題に気付いて行くのです。甲太らは彼/彼女らのために学校を建てたい思いは強くなっていき,一旦帰国します。

やはり,二つの作品を比べてもわかることは大きな問題への気づきとそこへ情熱を傾けられる気持ちは重要な事のように思います。


■世界を変えるビジネスをする人たち





そして,最近もう一つ読んだ本がこちら。COURRiERクーリエ・ジャポン11月号の『世界を「もっと良くする」仕事』です。この中では著名な映画俳優マッド・デイモンの水問題への慈善活動や貧困・エネルギー問題をこれまでにないビジネスモデルで解決しようとする企業,突飛もないアイディアというよりも日常への疑問から生まれたビジネス等,多岐に亘る世界をもっと良くする仕事が紹介されています。

この特集記事を読んでいて,様々な世界の問題に取り組む彼らの仕事へのモチベーション,要するに上記でも問いただしてきた事である「動機」というのはおおよそ問題意識の萌芽ではないだろうか。とはいっても彼らは特別な気付きを得るためのノウハウや資質を持っていたのだろうか。それは否。そうではなく自分の「やりたいこと」,「やれること」が「やるべきこと」とオーバーラップしたからに違いないと思います。

■幸せ実現のトリニティー



上図のように「やりたいこと:Will」,「やるべきこと:Should」,「やれること:Can」の三つが重なり合った場所で仕事や自分のリソースを注げる何かが見つかればそれは大変幸せな事のように思います。これは以前学生の頃,就職活動で企業の説明会に参加していた時に人事部の方が仰っていたことでした。僕は今でもこの事を強く覚えており,事あるごとに思い出しながら自分の人生を見つめ直します。

そして,僕の場合,「やりたいこと」が「やるべきこと」と「やれること」に触れていない状態に現在いるのかなと思います。

ところで「やるべきこと」=「仕事をしてお金をいただくこと」と考える人は多いのではないでしょうか。僕自身,仕事でお金を頂いてナンボですから,これは外せない要素になります。でも,それだけでは米や味噌が買えても幸せは買えません(僕の場合)。

ですから,「やりたいこと」を少しでも「やるべきこと」に近づける,これが重要なんだと思います。全く重なり合うことはないにしても一部分でも重なる個所があれば,大変恵まれた環境にいると言ってもいいのではないでしょうか。


■僕は世界を変えることができない。但し,自分を変えることはできる。






今一度,先に見た映画ボクセカや本スリー・カップス・オブ・ティーについて考えると,トリニティーは上図のようにどれも関連した関係に出来あがっていることが分かります。

Will:学校建設を実現したいためにはShould:資金調達をやるべきであり,そのために今私が出来ることとしてCan:募金やチャリティーを開くことが可能だなとこうなるわけです。

この幸せ実現のトリニティーは人生という大きなキャンパスで考えてもいいですし,日常の些細な冒険,プロジェクト,仕事や普段の生活に関してでも考えるフレームワークとして良いのではないかと思います。


それにしても本や映画で見る主人公のように「世界を変える」というのはスケールが大きな話です。ボクセカの甲太さんのように結局世界を変えることはできないと考えながらも大海への一滴となり,学校建設に情熱を傾けられる姿勢というのはなかなかまねが出来るものではありません。

正直,「世界を変える」という類の話は大風呂敷に近いものがありますがその中でも担保されるものがあると僕は思います。

それは,「自分を変えることが出来る」という事です。

これまで述べてきた世界を変えるために活動している人たちの共通点でもあった「問題への気づき」あるいは「問題意識の萌芽」これだけでも新たな世界を見ることできた証拠,すなわち自分が新しい自分へと昇華した証なのではないでしょうか。

僕も今後人生のターニングポイントでこの事を思い出し,今一度考える日が来ると思います。その時には少しでもShouldとCan,そしてWillが重なりあうように,新しい世界/新しい自分を見つけることが出来るようになっ,て,い,れ,ば,と,いま夜長にPCのキーを叩いているのです。




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