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2009年12月2日水曜日

北極熊

村上春樹が著した短編集「神の子どもたちはみな踊る」に収録されている作品の一つに「タイランド」(連作『地震のあとで』その四, 1999年『新潮』11月号)がある.

数ある中でも,好きな話のひとつだ.
傷心の女医(さつき)がタイで過ごした休日を描いた話となっているのだが,ガイド兼運転手のニミットというタイ人が物語の終盤部分で,かつて自分の上司であった人から聞いたあることを,さつきに話しだす.

それは北極熊の生態についてだ.


少々長くなるが,以下に一部を記載する.

「彼は私に一度、北極熊の話をしてくれました。北極熊がどれくらい孤独な生き物であるかという話です。

彼らは年に一度だけ交尾をします。

年に一度だけです。夫婦というような関係は、彼らの世界には存在しません。

凍てついた大地の上で一匹の牡の北極熊と一匹の牝の北極熊とが偶然的に出会い、そこで交尾が行われます。

それほど長い交尾ではありません。

行為が終了すると、牡は何かを恐れるみたいにさっと牝の体から飛び退き、交尾の現場から走って逃げます。文字どおり一目散に、後ろも振り返らずに逃げ去ります。

そしてあとの一年間を深い孤独のうちに生きるのです。

相互コミュニケーションというようなものはいっさい存在しません。

それが北極熊の話です。

いずれにせよ、少なくともそれが、私の主人が私に語ってくれたことです。

(…)

そのとき私は主人に尋ねました。

じゃあ北極熊はいったい何のために生きているのですか、と。

すると、主人は我が意を得たような顔に浮かべ、私に尋ねかえしました。

『なあニミット、それでは私たちはいったい何のために生きているんだい?』と」



物語の文脈から逸脱したカタチで,この北極熊の話を切り出しても興味深いものには変わりないだろう.

「夫婦」,「愛」という観念が北極熊にはない.当然といえば当然のこと.そもそも「言葉」というものを持ち合わせてはいないだろう.とはいえ,ある程度動物のうちにも夫婦関係や愛情というものを垣間見ることができる.それが北極熊に至っては見出すことができない.これは人間の常識からは考えられないことだ.

やはり,僕たちは卵なのだろうか.
究極的には交わることのできない殻で覆われた卵なのかもしれない.交わろうとすれば,ぐちゃりと潰れてしまうそんな存在.

「常識」と言ったが,それは「事実」を指すわけではない.常識は集団を生きる知恵のことだ.そうなると・・・・・・


北極熊も,
人間も,
同じようなものかもしれない.


ケロ

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