笑うのに必要なのは,17 種類の筋肉.
だけど,しかめ面するのには 47 の筋肉がいる.
エネルギーを大切に.
-unknown-

自分の写真
どこかの街, どこかの井戸で
日常にハミングを。Evernote、iPhone、エネルギー・環境関連、ランニングなどについて呟いてます。

2012年11月28日水曜日

コミュ障と思いこんでいるぼくたちが知っておくべきこと


わかりあえないことから“コミュニケーション能力とは何か”/平田オリザ著

シュウカツを経験した身として、この言葉は厭というほど聞かされる。

「コミュニケーション能力」

コミュニケーション能力が高くない僕にはひどく悩まされた言葉だし、社会人となったいまでも解決できていない問題である。

僕は伝えたい事を相手にうまく伝えられないし、悲しいかな、語彙の乏しさもあって何を言いたいのか自分自身分からなくなることもしばしば。

巷では「コミュニケーションが大切です!」、「コミュニケーション能力を高めよう!」と半ば脅しにも見える/聞こえる喧伝がなされている。







ところで話は打って変わるのですが「平田オリザ」さんという方をご存知でしょうか?日本を代表する劇作家、演出家である。特にこれまで平田オリザさんの追っかけであったわけでもないのだが最近よく聞く名前なので気になっていた。



そんな情報しか持っていない中、本書「わかりあえないことから“コミュニケーション能力とは何か”」を本屋で何ともなしに買っていた。


本書を読んで、著書の問題提起である「わかりあえないことから始めよう」について紹介していきたいと思う。





企業が求めるコミュニケーション能力の例として「きちんと意見をいえる人」、「自主的な意見を持てる人」がある。では実際に多くの会社の中で必要とされる人材とはどんな人なのか。それは多くの場合「異論を出さない人」、「空気を読む人」、「場を乱さない人」ではないでしょうか。

こういったコミュニケーションによる相容れない状態にあることを「コミュニケーションのダブルバインド」と呼ぶ。これがいま日常的に起こっている。著者は例とした企業のみならず、日本社会全体としてコミュニケーションのダブルバインドが起こっており、内向き・ひきこもりが多くなっていると危惧している。

そして、そんな空気で育った若者たちはひどくコミュニケーション能力が低下している。いや、果たしてそうなのだろうか?









本当に若者はコミュニケーション能力が低いのか?結論から言うと「低くない」と著者は言う。しかし、このあとに「但し」がつく。
但し、社会の要求するコミュニケーション能力は高くなっているのだが教育プログラムはそれに追いついていない。つまり、相対的に社会から低く見積もられてしまっているのが現状のようだ。

このような社会的要求が「表現せよ!」、「もっとコミュニケーションを!」と声高に叫ばれるようになり、コミュニケーション能力に元々自信のない子どもたちはより一層内向きになってしまっている。
その問題を打開する手立てはないのだろうか?その糸口はこんな前提から始まる。

「伝えたい」という気持ちは「伝わらない」という経験からしか来ない


これは教育プログラムからすれば逆説的とも言える。なぜなら、表現!表現!表現!・・・・・・とにかく表現しなければコミュニケーション能力は高くなりませんという現行の教育とは一線を画す論だからだ。

そうすると、僕たちは伝わらない状態から言葉を尽くして相手に理解してもらおうとする。この時に人は相手の「コンテクストを理解」したり、「行間を読ん」だりするのだろう。言葉では伝わらない溝を少しでも埋めようとする。






人はどんどんバラバラになっていく。有体に言えば、「多様化」とも表現できる。それぞれの価値観に基づいて、自分の人生や仕事、あるいは普段使っているコーヒーカップにまでその人の価値観が染みついている。


このように多様化した価値観を持つ人間たちが相手を理解するのは容易であるわけがない。それはあらゆるコミュニティーで問題となっている。学校、ご近所、職場などなど。


平田オリザさんの考えの一つに「同情から共感へ」、あるいは「同一性から共有性へ」というアイデアがある。

僕たちはどうしても相手を完全に理解しようとする。相手が悲しんだり、痛んでいたりするその時、僕たちは同じように痛みを知ろうとし、悲しみを理解しようと試みる。しかし、経験したこともなければ、考えたこともない相手の状態に戸惑うこともある。

そんな時「わからない」、「理解できない」と諦めてしまいそうになる。それは相手を完全に把握しようとする人間の性が邪魔するからだ。無理に同一化するのではなく、相手と自分との共有点を探ることが重要である。著者はそれを「コンテクストの摺り合わせ」と呼んでいる。

例えば、同じ屋根の下で互いに暮していれば、いつの間にか共通の呼び名がでてきたりする。
電子レンジは「レンチン」と呼んだり、お腹を「ポンポン」と呼んだりするような事が時間をかけて共有化されていく。





僕たちは様々なシチュエーションでいくつもの役を使い分けながら生きている。ある人は家では夫を演じ、子どもがいれば父親を演じ、会社では課長を演じ、電車ではサラリーマンを演じ、週末の趣味のテニスでは元国体選手のテニスプレイヤーを演じる。

みんな仮面を使い分けながら社会を生きている。

そして、そのうちのどれかひとつが本当の自分というわけではない。そのどれもが自分なのだ。






平田オリザさんの一貫して伝えたいことは本書の表題にある通り「わかりあえないことから」なのだ。


多様な価値観を受け入れる姿勢「みんなちがって、みんないい」という自己欺瞞から抜け出し、「わかりあえない」を前提としながらもさらに多くの仮面を作り続け、僕たちは覚束ないコミュニケーションで演じ分けていくのだ。

それこそ、多様な価値観を持つ社会を生きていく術になるはずだから。




  このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote

2012年11月26日月曜日

スイーツマラソンin東京サマーランドに参加します!

12月2日に東京サマーランドで開催する「スイーツマラソンin東京サマーランド」にリレーマラソンの部で出場します。




スイーツマラソンとは、走る+スイーツという奇天烈な組み合わせを実現させたコラボレーションマラソンです。ランニングが昨今話題になっており、マラソンも多様化していますがスイーツと組み合わせるというのは盲点でした。

僕の参加するリレーマラソンは42.195kmをチームで走破する種目です。
辛いだけがマラソンではないのです。皆と楽しく走るマラソンもあっていいと思います。

なにはともあれ、走って、食べて、笑って、大いにはしゃぎながら楽しんできます。





このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote